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英国旅行記2018年 湖水地方 ヒルトップ農場へ その9

英国
01 /31 2019
英国旅行の続き、ヒルトップ農場のあるニアソーリーへ到着したのが午前9時30分。チケット売り場でその日開場一番である10時の入場チケットを入手し、ヒルトップハウスを1階、2階と見学して外に出るまで、滞在したのはちょうど30分間だった。

私が18年前、初めて湖水地方を訪れた際、現地の一日観光ツアーでヒルトップ農場に訪れ、その時はツアースケジュールの関係で、ヒルトップ農場の滞在時間はわずか30分だった。この見学時間内に、すべてを見て回るのは至難の業で、恐らくヒルトップハウスを見学するだけで終わってしまう。ここにはヒルトップハウス以外にも、『こねこのトムのおはなし』や『あひるのジマイマのおはなし』で描かれた美しい庭がある。

そのことは重々分かっていたので、今回私が作成したツアーは、たっぷりと時間がとってあった。それでも見ようによっては早い人、遅い人といる訳でその調整は難しい。私は遅い部類で、2階見学時に窓から庭を見下ろすと、既に数名庭を見学されている方がいた。という訳で、次に紹介するのはヒルトップ農場のガーデンについて。

ヒルトップ農場内には4つのエリアがあり、一つ目は道路に面した入口からヒルトップハウスまでの小道沿いの「お花畑エリア」、二つ目はヒルトップハウス前のアイアンフェンスのゲートから入る「家庭菜園エリア」、三つ目は格子の木製フェンスで区切られた果樹が植えられた「パドックエリア」、四つ目はヒルトップハウスの奥にある「農場エリア」。このうち一つ目と二つ目のエリアが一般公開され、三つ目と四つ目はその景色を眺めることができる。

まずは一つ目エリアの小道沿いの両脇に植えられたお花畑エリアから。

アンブルサイド近くにある採石場のブラセイ産スレートを敷き詰められた小道は、真っすぐにヒルトップハウスまでつながっていて、『こねこのトムのおはなし』や『こぶたのピグリン・ブランドのおはなし』の挿絵の背景として描かれた。

ここに植えられたお花畑の植物は、一見 雑多に色々な種類が植えられているように見えるかもしれないが、自然に生えているそのままの風景を再現したもので、これらを「コテージ・ガーデン」と呼ぶ。

しかし、この素敵なお花畑もビアトリクスの死去後、再びナショナル・トラストが一般公開するに至るまでにほとんどの植物が絶えてしまい、現在私達が目にしているのは、ナショナル・トラストのガーデナーが、その当時の写真や手紙などの書簡、そして挿絵に描かれた背景を資料として復元されたもの。植えられた品種は、ビアトリクスが生きていた時代のものであり、植物の品種改良の進む現在において100年前の素朴な色を楽しめる。

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ヒルトップハウスを背にして撮影した小道。
 
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黄色い花の群生は「オカトラノオ(セイヨウクサレダマ)」
繁殖力の強いオカトラノオは、はびこらないうちに掘り起こし、別の場所に植え替えるという作業をビアトリクスも行っていたそうだ。

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左側に見える背が高く白い花、茎の先で四方八方に伸びて、黄色みがかった小さな白い花を多数咲かせているのは

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「ヤマブキショウマ」
ススキのように風に揺れて存在感ある面白い花でした。
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ヤマブキショウマの足元で、背の低い草花は「オミナエシ?」
背が低いので違うかも。カランコエのような小さな花がたくさんつき、初夏に向け色づく花のよう。

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ヤマブキショウマの手前、空に向かって高く伸びているのは「アザミ」
『のねずみチュウチュウおくさんのおはなし』でジャクソンさんが「ぷっぷっぷう」と飛ばすのはアザミの綿毛。

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エンドウマメは花が終わり、豆の入った鞘が膨らみ始めていた。

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ヒルトップハウスの少し手前、咲き誇る黄色い花は先程紹介した「オカトラオ」、その手前分かりづらいですが、こんな可愛らしい花が、、
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「ブルガリア・オダマキ」
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「セイヨウオダマキ」
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オダマキの斜め奥に生えていたのは「カラマツソウ」
ヤマブキショウマ同様、カラマツソウも種や茎がそのまま残ると翌年大繁殖するので、植物が枯れた後の冬の間も手入れが欠かせない。
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カラマツソウの後ろ、オカトラノオの左側で、紫の星型の花をたくさん付けているのは「カンパニュラ・ラクチフローラ(別名:ミルキー・ベルフラワー)」。
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今度は小径の右側(ヒルトップハウス側に歩いた場合)に目をやると、なんとも不思議な丸い実がたくさんなっている。
これは、『ピーターラビットのおはなし』で、ピーターがマグレガーさんの畑でグーズベリー(スグリ)にかけていた網にひっかかった、「グーズベリー」。
ビアトリクスもマグレガーさんのように、鳥たちがグーズベリーの蕾をついばむことに困り果てていたようだけど、私達が訪れた時点でまだ網はかけられてはいなかった。
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グーズベリーの先に、花が終わった後に面白い実がなる「ルナリア(別名:ゴウダソウ)」が、枝の先に小判のような実をヒラヒラさせていた。
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ヒルトップハウスはツル系植物の宝庫で、クレマチス、フジ、ツルバラなどが咲き誇る。玄関ポーチ右側の大きなツルが白いフジで、私達が訪問した6月下旬、英国は日本よりも1カ月ぐらい季節の訪れが遅いし、もしかしたらまだ咲いているかもという淡い期待は見事に裏切られてしまった。
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ツルバラも花が一段落した後で、パラパラと咲いていた。このバラは「ケンティフォリア」で、日本のビアトリクス・ポター資料館もほぼ同じ位置にツルバラがある。資料館のツルバラは「ファンタンラトゥール」で、「ケンティフォリア」と同じ系列。こうしてみると「あれ?資料館で撮影した写真だっけ?」とつい目をゴシゴシしたくなるほど。

ビアトリクスは美しい湖水地方の景色にとけこんだこの古い家を本当に愛していて、家だけでなく庭も家の一部として庭づくりに励んでいた。そして目指したのは、「庭と家を一体化する」ということ。だから例え、植物の根が家の床を持ち上げたとしても、さらには小さな虫たちが家の中にはいりこもうとも、彼女が目指す理想を追い求めて庭造りも行っていたに違いない。

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もうひとつのバラは「クィーン・オブ・ブルボン」。こちらのバラはちょうど見頃でとても美しかった。
ビアトリクスも庭にバラがなくては満足できないと、結婚後に移り住むカースルコテージの庭もバラが植えられた。カースルコテージのバラは「モスローズ」だそうで、ピンクの色彩だけでなく、その香りも余すことなく楽しんだそうだ。

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私達がこの旅を6月に選んだ理由のひとつに、『あひるのジマイマのおはなし』で描かれたジギタリスが見たかったから。ヒルトップ農場のお花畑は意外と咲いていなかったけれど、この後ミニバスに乗りながら各所で目にすることに。それはまたのお楽しみに。

ジギタリスの英名は、「Foxglove(キツネの手袋)」で、これは古英語「foxes-glofa」が語源とされ、キツネが狩りをする時、足音を消すためにジギタリスの花を足にはめた「glofa(グローブ)」からこのような名前が付けらえている。しかし、まったく真逆の言い伝えもあり、「foxes-gleow」という、花の特徴である釣鐘を意味する言葉「gleow」で、キツネの首周りにつけるとハンターたちがベルで気づくだろうというところから、このような言い伝えもあるそうな。
古代ローマ時代から存在する不思議な花ジギタリスは、その毒性も相まって、『あひるのジマイマのおはなし』でジマイマが偽紳士にまんまとだまされる姿に、このジギタリスが持つ怪しさが関係しているかもしれないと考えると楽しい。

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アザレアにツルを伸ばし咲いていたクレマチス。
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イングリッシュガーデンには欠かせない「アストランティア・マヨール」は防虫対策としても役立つと、「ガーデニング誌ビズ」No.64ピーターラビット大特集に掲載されていた。

ビアトリクスが目指した植物と家の一体化と、庭も部屋の一部として丹精込めて造り上げたガーデン。それらを引き継いだナショナル・トラストのガーデナー。私達は6月に訪問したけれど、7月、8月と次々に可愛らし花々が咲き乱れる一つ目のお花畑エリアの紹介でした。

また、西村書店の「ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生」は、ビアトリクスが庭造りにかけた情熱とその行動をひとつにまとめた書籍で、最後に一覧表で「びあとりくすの庭の植物」も紹介されている。興味のある方はぜひお薦めします。

次回のブログはヒルトップ農場の二つ目以降のエリアへ続きます。

ヒルトップ農場へ その8

英国
12 /11 2018
英国旅行の続き、旅行に出かけてから既に半年が経過しましたがまだ全然先に進まず(苦笑)。気を取り直してヒルトップハウスの2階ニュールームへ。


uk200.jpg 階段を上り、階段に背を向けた右手側、人とすれ違うのも難しい狭くて暗い廊下を進んだ先に、明るく開放的な比較的大きな部屋「ニュールーム」とビアトリクスが呼んだ部屋がある。


この部屋は、1906年に増築した2階部分で、他の部屋よりも約60㎝ほど天井が高く、壁2面に窓があり、明るく開放感を感じる部屋だ。最初「図書室」と呼んでいた頃は、弟バートラムの大きな作品(油絵100号サイズ)を飾るためだけに使用していた。


uk201.jpg バートラムの作品は、結婚後移り住んだスコットランドの景色を描いたもので、姉のビアトリクスが手のひらサイズの小さな作品が多い中、大きさだけみても対照的だ。こうした作品は、絵描きとしていつかは大作を描いてみたいという願望からか、それとも絵本作家として成功した姉には描けないものをと思ったからなのか、1918年46歳で亡くなった弟を偲ぶかのようにヒルトップハウスのニュールームに運ばれた。


この部屋で真っ先に目が奪われるはこうしたバートラムの特大サイズの作品4点だろう。作品と作品の間に、モダンな飾り柱(ピラスター)が仕切りのように取り付けられている。


図書室として呼んでいた頃はあまり使用されることのなかったこの部屋が、書き物机やビアトリクスの好きなアンティーク家具を配置することで、ヒルトップハウスの内でほぼ毎日のように執筆活動する部屋となった。



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書き物机の前に配置されているアンティークチェアは、19世紀ドイツの家具職人ミヒャエル・トーネット(Michael Thonet)の作品、ベントウッドチェア(曲木椅子 bentwood chair)で、祖母ジェッシーがカムフィールド・プレイスで使用していたもの。


uk203.jpg このベントウッドチェアは、『ねずみが3びき』という1892年の未発表作品(おはなし全集の改訂版に掲載)に描かれた。



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書き物机の上にあるのは、サギ科の仲間「ヨシゴイ」の標本。ヒルトップハウス内でゲストに最も質問されるものについて紹介されているスタッフブログによると、この標本もその内のひとつだそうだ。



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反対側の壁には蝶の標本も展示され、ビアトリクスが熱心に調べたであろう1633年出版の「ジェラードの本草書(Gerad's Herbal)」などもあり、ビアトリクスの博物学への探求心を垣間見ることができる部屋。



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壁に吊り下げてあるキャビネットの内のひとつは、チェスの駒、象牙の置物などがあり、


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ビアトリクスと日本といえば、ビアトリクスの1882年(16歳)の作品に、歌川広重の練習「諸職画通三篇」の背表紙が描かれていることが分かり、河野先生がこの発見を2014年にプレスリリースされた。



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もうひとつの食器類が並べられているキャビネット内の隅にあるのも、日本製の浮世絵絵皿と、戦国武将柄の蓋付きコーヒーカップ(1900年製)がある。ビアトリクスのお眼鏡にかなったものの中に、日本のものも含まれているという事実があるだけで嬉しい。そういった棚の中にあるものも目を皿のようにして楽しめるということは、マニアックな世界へさらに足を一歩踏み込んでしまったようだ。



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象牙の置物中に混じって象牙の柄がついたコルク抜き(Corkscrew)がある(写真はチェスの駒の入った、壁に吊り下げてあるキャビネットの棚上から5段目の真ん中辺り)。食器棚にはルビー色のアンティークグラス(一番上の棚)があり、ワインを嗜むこともあったのだろうかと想像が広がる。


食器棚の上から2段目の左にあるのは、父ルパートの絵付けによる脚付きカップと、その奥にソーサーがあり、ビアトリクスが6歳の頃の思い出の品だ。


uk196.jpg 食器棚を覗きこまないと見えない下段にあるのは、ちょっと珍しい1690年創業のフランスの陶器メーカーで、アンリオ・カンペールの民族衣装を着たデザインの靴の形や、白鳥の形などをした入れ物やトレイなどがある。



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この部屋には弟バートラムの作品だけでなく、家族全員の作品が勢ぞろいしている。上から母ヘレンの湖畔の景色を描いたもの、父ルパートの「3匹の盲目ネズミ」、ビアトリクスの「糸車」。家族共通の趣味が絵画であり、芸術家一家という側面も改めて垣間見ることができる。



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この部屋の紹介冒頭に戻り、壁2面に窓があるという部分、部屋の入口を背にした右側の窓に注目すると、スタッフの方が作業されているにもかかわらず、お願いすると快く立ち上がって場所を開けてくれた。



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この窓から望む景色は、モスエクレス湖へと続くストニー通りが見え、『ひげのサムエルのおはなし』で描かれた。


ようやく長い長いヒルトップハウスの旅行記が終了しました。次はヒルトップの庭とショップへ続きます。この続きは次のブログにて。

ヒルトップ農場へ その7

英国
11 /07 2018
マイペースなのんびりした更新ペースですが、引き続きお付き合いください。

英国旅行の続き、ヒルトップハウスの2階、宝物の部屋の隣、プライベートリビングへ。

1階の応接間ほど堅苦しくなく、家族や親せき、親しい人と集いリラックスする部屋として利用されたとか。

部屋の大きさは、6畳間ぐらいで、四方の壁に絵画が何点も飾られている。絵画は、宝物部屋がファンタジーの作品が多いのに比較して、この部屋の作品は山や海の景色を描いた風景画が多い。その中に混じって弟バートラムの作品も飾られている。

uk183.jpg ピアノの真上に飾られているのは、ビアトリクスが大好きだった弟、バートラムの作品「夕焼け空にガチョウの群れ(A Sunset with a Flight of Geese)」

このピアノは、ムツィオ・クレメンティ社(Muzio Clementi and Co.)が1810年ロンドンで製造したマホガニー製のスクエアピアノで、鍵盤数は68、弦は斜めに配置されている。このピアノは、ヒーリス家からやってきたものらしく、蓋の裏に「E.H&M.H」と年号がひっかき傷のように刻まれている。

日本最古のピアノもメーカーは違うものの、英国製のスクエアピアノだそう。
山口県 熊谷美術館 日本最古のピアノが展示されている美術館

ピアノを支える脚は、ぐるぐる螺旋状にねじられるバーリーシュガーツイスト(Barley Sugar Twist)風のデザインで、音楽を楽しむだけでなくインテリアの一部としても楽しめるもの。

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出窓に目を向けると、『こねこのトムのおはなし』でよそゆきのエプロンを着たミトンとモペットの姿が。そうこの部屋でトムたちは身支度を整えたのだ。どうしてこの部屋と分かるのかというと、、、

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描かれた挿絵と置き場所が相違(挿絵は出窓の右側、実際は左側)するものの、マホガニー製の箪笥の上にある置き鏡が描かれた。この鏡は、曾祖母アリス・クランプトンの形見で、引き出し部分に象牙の取っ手がついた1850年頃のもの。

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暖炉のそばにあるマホガニー製の刺繍枠、スクロールフレームは、1830年頃のもので、ビアトリクスが指しかけの刺繍がそのままつけられている。

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炉棚にあるのは、ロイヤルクラウンダービーの1878年の花瓶が対に飾られている。美しい白磁で台座の部分にシルエットが刻まれたもの。絵画は、ウィンダミア湖のアンブルサイド側ウォーターヘッドから見た景色を描いた1800年頃の作品。

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この部屋のひときわ大きな書き物机付き書棚は、1770年頃のマホガニー製で、高さは天井ぎりぎりの213㎝。この書棚はビアトリクスが初めて購入したアンティーク家具で、ビアトリクスの死後、カースルコテージよりこの部屋へ運びこまれた。

uk190.jpg 書棚の真ん中に、日本で開催された原画展に展示された黒い服と赤い服を着たお人形(原画展図録P194参照)が飾られていた。お人形の前にあったのは、原画展でも使用された「ブルーウール(The Blue Wool Scale)」で、積算照射量で色が変わる特別な試験紙だ

uk191.jpg 一番下の段にあったウェッジウッドのグリーンラインが入ったナーサリーウェアコレクション(原画展図録P201参照)と、グリムウェイズのチャイルドウェアコレクション(原画展図録P202参照)も原画展で展示されたもの。
この書棚の中の半分以上が日本にやってきていたなんて本当に信じられない。

グリムウェイズの食器セットの真ん中や、左側の端にある卵入れに、ビアトリクスが装飾したイースター(復活祭)で使用する卵転がしレース「ペースエッグ」が飾られている。ビアトリクスは村の子ども達のためにペースエッグ用の装飾をしたそうだ。

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この部屋にあるアンティークチェアは3種類。
ピアノの前にある椅子と、書棚の左右にある椅子は、背もたれが麦の穂を束ねたような形をしているところから「ウィートシーフバッグ(Wheat-Sheaf Back)」という椅子。
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ピアノの左側にある椅子は、繊細な透かし模様が彫刻された「リボンバック」という椅子。3種類共1770年頃のマホガニー製で、赤茶色の美しい色をしていた。

ビアトリクスの写真もたくさん飾られ、プライベートルームに足を踏み入れた感覚をより一層深める部屋でもある。ヒルトップハウスもいよいよニュールームを残すのみ。この続きは次のブログにて。

ヒルトップ農場へ その6

英国
10 /03 2018
英国旅行の続き、ヒルトップハウスの2階、寝室の次は宝物部屋へ。

宝物部屋(Treasure Room)は、4畳半ほどの小さな部屋。ここにビアトリクスの大好きなグッズが収められている。ビアトリクスは、ここで大好きなグッズに囲まれ、棚より取り出しては眺め楽しみ、イマジネーションを膨らませ、そして再び現実へ立ち向かう気持ちを奮い立たせていたのだろうか?

宝物を見て行く前に、ビアトリクス自身の収集歴について振り返ると、有名な話として10代の頃、昆虫採集で集めた虫たちをスケッチし標本にした。顕微鏡を用いて蝶の翅(はね)の花びらのように見える鱗粉(りんぷん)をひとつ、ひとつ丁寧にスケッチした作品も残されている。

キノコに夢中になっていた頃もあれば、化石や貝殻などを見つけ自然研究家としての興味から収集して描いた。

また別の側面から見れば、ビアトリクスは古きよきもののコレクターとして名をはせても良いぐらいのコレクションを所有している。

それぞれの部屋に配置されているアンティーク家具については既に紹介しているとおりで、それら家具に収められている陶器やフィギュアなども18世紀から19世紀初頭にかけてのものが集められている。

1階のエントランスホールにある白地に藍色の青花(せいか)磁器の大皿は、中国 景徳鎮の窯より生み出されたもので、17世紀に入りヨーロッパで大変な人気を博し盛んに輸出されたもので、これら青花磁器は大小合わせて11枚あった。
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そして、エントランスホールの暖炉に飾られている様々なホースブラス(棚の下ぶら下がっているもの)に加え、ロイヤルドルトンの水差しやマグ(棚の上、左から3番目、4番目、6番目がロイヤルドルトンの水差し、7番目、8番目がロイヤルドルトンのマグ)など。
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水差しは、水や酒類の容器としてでなく、水差しと「ボウル(Bowl)」と呼ばれる大き目のボウルを洗面ボウルのように、顔や手を洗うのに使用したことだろう。そう『こねこのトムのおはなし』でトムたちが顔を洗うみたいにね。
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また、現在のヒルトップでも水差しを花瓶のように使用されていたが、ビアトリクスも庭の花を摘み、水差しを用意して花瓶として利用していたことだろう。それにしても水差しの種類と数に驚く。

応接間の棚は、既に紹介した水差し以外にもまだたくさん並べられていた。大き目のマグも水差しと並べると花瓶代わりに使えそうだ。
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食器に関しては、きちんと戸棚に収められているからそれほどたくさんあるように思えないが、これまた隙間なく収められているので全部並べたら相当なコレクションであることは間違いない。

これらの食器は、ブランド名が分かるものだけでもそうそうたる顔ぶれで、英国4大名窯と呼ばれた「ミントン」、「ロイヤルウースター」、「スポード」、「ウェッジウッド」はもちろんのこと、「ロイヤルドルトン」、「ロイヤルコペンハーゲン」、「ロイヤルクラウンダービー」、「マイセン」など、ビアトリクスが生きていた時代に既にアンティークと呼ばれた100年前の食器を収集しているものだから、これら有名ブランドのアンティーク食器好きには垂涎の的であることは間違いない。

さらに、17世紀より19世紀までヨーロッパで人気を博したのは、中国風デザインを用いてヨーロッパで作られた陶器で、これらを「シノワズリ(フランス語Chinoiserieが語源)」と呼び、ビアトリクスもボウルや小皿などシノワズリの食器を多数揃えている。

1階応接間の食器棚。一番上の段に1770~1800年のシノワズリのボウル、二段目に1800年代ロイヤルクラウンダービーのティーポット、三段目に1800年代のロイヤルコペンハーゲンの大皿、下の段の真ん中に1710年シノワズリの大皿、その両脇に1840年のスポードの深皿。
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英国紅茶の歴史によると、1740年代を境にそれ以前は「ティーボウル」というカップにハンドル(取っ手)部分がない器で紅茶を飲んでいた。しかしそれ以降、テイーボウルにハンドルが付き、現在のカップ&ソーサーとなる。ヒルトップは、そんな紅茶の器の移り変わりとして、ティーボウルもカップ&ソーサーもそのどちらも見ることができる。こうして改めて応接間の食器棚を見ると、ニ段目の手前にある小ぶりボウルがテイーボウルで、三段目にカップ&ソーサーがある。


ビアトリクスのコレクション歴を少し垣間見たところでいよいよ宝物部屋を見てみよう。この部屋で一番に目が奪われるのはドールハウスだろう。
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このドールハウスは、『2ひきのわるいねずみのおはなし』に描かれたものではないが、パネルの開口部が閉じられ中はよく見えないものの、この中におはなしに描かれたキッチンテーブル、椅子、ナイフやフォークなどのカトラリー、フライパン、料理用レンジ(暖炉)、暖炉用火ばさみ、シャベル、フライパン、アイロン、鍋、やかん、ゆりかご、鳥かご、ブラシとちりとりなどなど。おはなしに絵が描かれたミニチュアパーツがこのドールハウスに収められている。もちろん、トム・サムとハンカ・マンカがめちゃくちゃにした石膏でできた食べ物、ハムや果物も。

ドールハウスの窓からのぞくと赤ん坊のゆりかごが。
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ドールハウスの上に、収集した貝殻と一緒にあるのは、お人形用のアクサリー。
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2016年から2017年にかけて日本で開催されたビアトリクス生誕150周年記念「ピーターラビット展」で、『2ひきのわるいねずみのおはなし』のモデルになったビアトリクスのコレクションのお人形が展示され、その際お人形とは別にお人形用のドレスが2点一緒に展示された。

お人形遊びをしたことのある方なら人形だけで飽き足らず、着せ替えなどして楽しむはず。ビアトリクスもドレスやスカートにジャケット、靴やアクセサリーなど色々とコレクションしていて、季節やシーンに合わせて着せ替えを楽しんだのかもしれない。そうしたお人形用の小さな櫛やブラシ、手袋などが見られる。

ドールハウスの両脇に置かれているのは、背もたれの形が特徴的な椅子で、1840年代のウォルナット材、ビクトリアン バルーンバックチェア(Victorian Balloon Back Chairs)がドールハウスを挟んで2脚ある。
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ビアトリクスの好きなコレクションにアンティークチェアも加えたい。各部屋、それぞれ用途に応じてデザインの異なるアンティークチェアが配置されている。これまた椅子好き、アンティークマニアにはたまらないコレクションではないだろうか。

ドールハウスと反対側にあるのは、黒檀色に塗られたショーケースキャビネット。ここにはたくさんの骨董品が並べられている。
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まず目につくのは、ブロンズ製のキャラクターたち。1930頃から製造されたもので、大きさは2㎝ぐらいの小さなものがずらりと並んでいる。
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ベンジャミン・バニー(写真下)と『グロースターの仕たて屋』淑女ネズミの陶器製(写真上)のブックエンド(M.M.Jones社製)があり、ドールハウスに入りきらないウェッジウッドのミニチュアで、グリーンやブルーのジャスパーウェアの水差し(3~5㎝)やマグなども形や大きさなど違うものがたくさんある。
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その下の段には、透かし模様の入ったミントンのプレート。このプレートは、シンプルなのにゴージャスな縁取りで、状態がとても良く、使用せずに眺める専用だったかもしれない。
プレートの右隣にあるのは、ドイツの名窯マイセンの1750年ティーキャディ。日本の駅弁のお供だった汽車土瓶のように、紅茶をティーキャディに入れて持ち運んだのだろうか?可愛らしい蓋つきの入れ物に、ビアトリクスもきっと心惹かれたに違いない。もうひとつあるマイセンのティーキャディは、隠れて見えないものの壺のような形に蓋がついた1765年のもの。
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ショーケースの下段真ん中にあるのは、1830年のスタッフォードシャ―で作られた黒光りした独特な色合いのティーポット。これは釉薬してから窯に入れるのではなく、焚口から食塩を投入し窯内に食塩蒸気を発生させるという塩釉手法によるもの。

小さな箱類もたくさんある。白い卵型の入れ物や、螺鈿細工が美しい箱、べっ甲細工のもの、おしゃれな婦人が描かれた丸い陶器の箱も。ショーケースの中だけでなく、各部屋に箱類が数個あることから、箱も必要に応じて色々な種類が増えたのかもしれない。

蓋の部分に型抜き模様が入ったもの(黄色矢印)も何点かあった。これらも箱類のようだが、白粉入れのものもあるようだが、タイガーアイを加工したものもある。どれも上部に同じような模様がある。ひとつの仮説としてペーパーウェイトとして使っていたのではないだろうか?絵を描いたり、手紙の返事を書いたり、紙の仕事をしている人にとってペーパーウェイトは何かと重宝すると想像してみた。
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もうひとつある黒檀色に塗られたキャビネットは、ウェッジウッドのジャスパーウェアの壺が対になるよう並べられ、真ん中にあるのもジャスパーの1800年の花瓶。
その下の段にあるのは、ロイヤルクラウンダービーの花瓶が対になり、真ん中に真っ黒で黒檀色と色が被ってはっきりとしないが、ウェッジウッドのバサルトウェアの壺がある。
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2階の各部屋は、たくさんの絵画作品が飾られていて、部屋ごとに少しずつその趣向が変わっていくのも興味深い。寝室はウィリアム・モリスの壁紙がひとつのアート作品のようだった。宝物部屋は小さくて可愛らしい作品が中心だ。中でもビアトリクスに影響を与えた挿絵画家、ランドルフ・コールデコット(Randolph Caldecott)の作品「6ペンスの唄をうたおう(下)」と「果樹園で洗濯を干す女性(上)」。
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花の絵は、バレンタイン・バーソロミュー(Valentine Bartholomew)の「ロサ・ガリカ(左、バラの一種)」と「プリムラ・ファリノーサ(右、セイヨウユキワリソウ)」。この画家は、ヴィクトリア女王専属の植物画家(Flower Painter)で、「アザレア」など作品がV&A博物館に所蔵されている。
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美少女が描かれたこの作品は、ジョージ・ダンロップ・レスリー(George Dunlop Leslie)の「桟橋の二人の女性(Two Young Ladies on a Jetty)」1884年。レスリーの作品は、19世紀の生活様式を写実的に描かれた作品が多く、テートギャラリーやロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(ロンドン)に作品が所蔵されている。
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もうひとつ紹介したいのが、多分ケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway)の「Valentine(1875年)」の作品。
三大絵本作家と呼ばれる、ウォルター・クレイン、ケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コールデコットで、その内の二人の巨匠の作品が飾られていることになる。
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なんとも贅沢で、部屋全体に好きが詰まった宝物部屋だ。この部屋の片隅にある書き物机が、宝物部屋を飛び出し日本の各地を「ピーターラビット展」で巡回した。この部屋の中にあると周りのお宝が凄すぎて、この部屋の中ではひっそりと目立たないけれど、日本でまじまじと家具の美しさを堪能させてもらった。
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ビアトリクスの好きなものに囲まれた宝物部屋。彼女の一面がまた分かってきたところでさらにまだ残り2つの部屋も紹介しなければ。もうヒルトップはお腹いっぱいと言われそうなボリュームになってしまったけれど。この続きは次のブログにて。
 

ヒルトップ農場へ その5

英国
09 /08 2018
英国旅行記の続き、ビアトリクスが本の印税と、叔母からの遺産を資金にヒルトップ農場を購入したのが1905年。それまでに既に6冊の絵本を出版し、そこから先ヒルトップ農場や、農場のあるニアソーリーが絵本の舞台として度々登場する。

と、これまでの大事な年号をおさらいをして、さて続きを。

ヒルトップハウスの2階は、寝室、宝物部屋、プライベートの居間、ニュールームの4つの部屋が公開されている。

まずは寝室へと足を踏み入れた。ベッドの横に置かれているのは「アメリカン・ウィンザーチェア(Windsor chair)」で、シェーカー教徒が1800年頃に作ったシェーカー家具。ビアトリクスはこれを「永遠に残すべきもの」と思うほど特筆すべき素晴らしい椅子。
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寝室の場面で真っ先に思い出すのは、『こねこのトムのおはなし』で、「悪いことしたこどもはベッドで寝ていなさい」と寝室に閉じ込められる場面に描かれたベッドを思い出す。

当然、この場面で描かれたベッドが寝室にあるのかと思いきや、さにあらず。『こねこのトムのおはなし』が出版されたのは1907年。寝室のベッドを購入したのは、ビアトリクスが結婚して住居をヒルトップハウスからカースルコテージに移り住んだ1914年頃。

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改めてベッドを見てみると、4つの柱で支えられた17世紀の湖水地方産 天蓋付きベッド(Four-poster bed)で、天井部分はひし形に彫られたパネルが16枚はめこまれ、へッドボード(Headboard)にも見事な模様の彫刻が掘られている。

ベッドの周りを囲うようにかけられている濃い緑色のダマスク柄生地のカーテン(Bed hangings)は、カーテン上部のレールが見えないように覆うヘッドクロス(Head cloth)もセットになり、そのどちらにも花柄模様が刺繍されている。

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この刺繍は、ビアトリクス本人が金襴ブロケード(今風に書くと、カラフルな絹糸)で刺したもので、「外にあまり出かけられない私にとって刺繍することは良い娯楽」と晩年70歳を迎える前より刺し始めたもの。

1914年以降の作品でベッドが描かれているのは『妖精のキャラバン』の口絵で、緑色のカーテンとお揃いの生地のヘッドクロスも描かれた天蓋付きベッドがある。まったく同じではないものの雰囲気はそっくりだ。

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さらにこの部屋の最大の特徴である壁紙は、ウィリアム・モリスのデイジー(ヒナギク)模様。他の部屋と違って、モールディングで仕切った上部にデイジーの壁紙、下の部分は同系色の模様無しと貼り分けている。

ビアトリクスはモリスの壁紙について「水彩画作品や写真など飾る場合にはとても不向きな壁紙、でも天蓋付きベッドの背景にはとてもふさわしい壁紙」と語った。

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パッチワークのキルトカバーはアメリカのもの。

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椅子といえば、冒頭の『こねこのトムのおはなし』で寝室に転がっていた椅子。寝室のベッドと反対側の壁、ブランケットチェストの脇に置かれている1700年代のウィリアムアンドメアリー様式の椅子は、座面が籐(cane-seated)を編み込んで作られたもの。もしかしたらこの椅子がと思ったら、絵本に描かれたものとは少し違っている。

後日、ナショナルトラストコレクション(←ここをクリックするとコレクションが見られます)から、絵本に描かれたそっくりな椅子(座面の膨らみ具合や背もたれのデザインなどから)を見つけた。座面がイグサで編み込まれた1800年代の椅子。ホークスヘッドにあるビアトリクス・ポター・ギャラリーにて展示されていることになっているが、入ってはいけない扉の向こうにあったので撮影できなかった。

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壁に掛けられたオウムと鴨の3枚の絵画をひとつの額に入れている作品は、サミュエル・ディクソンのグワッシュ画法で描かれた1750年頃の作品。この作品の裏にビアトリクスのメモ書きで「子どもも見ると思うからオウムの作品(真ん中)の上に描かれた蝶を取り除くべき」とある。確かに空を飛ぶ見た目がクラゲのような蝶で不思議な感覚に陥るので、最もな意見かも。

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ビアトリクス自身が刺繍したベッドカーテンとは別に、寝室には二つの「サンプラー」と呼ばれる刺繍作品がオウムと鴨の作品の両脇にかけられている。2016年、資料館のクリスマス企画展で「刺繍で親しむピーターラビットと仲間たち」をテーマで展示した際、このサンプラーについて紹介した。

サンプラー(280x270mm)は、手芸の技を磨くため、色々な柄やアルファベットを寄せ集めたデザインのことで、ビアトリクスはこれをどのような経緯で入手したのかまでは分かっていないものの、金色の糸のみで仕上げた縫い目がとても細かく、またモチーフの位置決めの正確さなどから仕上げた人の技術の高さが伺える作品。もうひとつのサンプラー(←ここをクリックするとコレクションが見られます)はさらに細かい手紙か書籍の一部を図案化したもの。

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暖炉にも素敵なエピソードが。

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1934年、ウィリアムはビアトリクスとの結婚21周年を記念し「W H B」の頭文字と「1934」の年号を刻んだまぐさ(暖炉上部の木製炉棚部分)を取り付けた。

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その炉棚に、1階の応接間でも見たスタッフォードシャードッグと呼ばれる置物、スパニエルが飾られている。真ん中にあるジャグは、スタッフォードシャ―の「The Farmer Arms」と呼ばれる水差し。

寝室はビアトリクスが気に入ったものだけでなく、それらに感化されて自ら刺繍したり、ビアトリクスのこの家に対する思いが一番こめられた部屋ではないだろうか。さてこの続きはまた次のブログにて。続きのブログをアップする間隔が段々長くなっているような(^^;

ヒルトップ農場へ その4

英国
08 /30 2018
さて、前回の続き、英国 湖水地方ニアソーリーにあるヒルトップ農場のヒルトップハウス内部見学。1階を見て回り、2階へとつながる階段にもたくさんのエピソードが。

ヒルトップハウスの2階へと続く階段(The Staircase)は、最初から取り付けられていたものではなく、途中で付け加えられたものだった。

17世紀末に建てられたヒルトップハウスは、玄関ホールに小さな螺旋階段(spiral staircase)が取り付けられていた。

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18世紀、現在の階段部分が増築され、途中に踊り場がある折り返し階段に付け替えられた。階段の手すりは緩やかにカーブし、手すりを支える手すり子は、シャープな角材の間に木材を回転させテーブルの脚のように丸く削りとられた手すり子が並ぶ、とてもエレガントな手すりがつけられた。

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階段の折り返し部分にある踊り場は、畳一畳分ほどのスペースがあり、手すり子と同じように丸く削りとられた木材で仕切られた柵があり、外壁部分に高さ2メートルはあろうかと思われる格子の枠がはめ込まれたガラス窓より、薄暗い玄関ホールに明るさを届ける。

ビアトリクスは、階段の踊り場から玄関ホールまで明かりが射しこむ大きな窓と、エレガントな手すりがついた階段を気に入っていた。

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『ひげのサムエルのおはなし』の冒頭、タビタお母さんがトムを探している場面で階段が描かれた。この場面でタビタお母さんの後ろに描かれたのは、踊り場に設置された「ロングケース・クロック」。

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ロングケース・クロック(Longcase clock)は、高さ2メートル50センチあり、現在はホール・クロックと呼ばれる振り子時計で、アメリカの呼び名はグランドファーザー・クロック。18世紀のショーフィールド社(Schofield)のもので、ビアトリクスは「時計の音はゆったりとした心臓の鼓動のよう」と、結婚後住居をカースルコテージに移してからも「古い家が寂しくないよう付き添いに行く」と、毎日のようにヒルトップハウスに出かけたそうだ。

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大きな窓の前に19世紀初頭に活躍したイタリアの彫刻家ピエトロ・マーニ(Pietro Magni)の「本を読む少女」の摸刻像(本物よりひと回り小さいサイズ44x27センチ)が飾られている。この像の飾り台としてビアトリクスが使用したのは、「棺(coffin)」と呼ばれる17世紀のスツール(coffin stool)。

「地元で棺桶をスツールの上に載せ、そのスツールのことを棺桶スツールと呼ぶ」ことから、そんな名前がつき、スツールを使用するのはご遺体をネズミから守るための風習が残っていることからだそうだ。座面の四方が折りたためる長方形の椅子のことで、彫像の下のスツールも見逃せない逸品(珍品?)だ。

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踊り場の窓より眺められるニアソーリー村の景色。ビアトリクスも何度となく眺めたであろう場所に自分が立っていると思うだけで感慨深い。

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階段を上った先は、『ひげのサムエルのおはなし』でサムエルがめん棒を転がし運ぶ場面に描かれた。

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そうそう話が前後するけれど、めん棒の前にバターも失敬したサムエル。こちらは階段の上り口部分が描かれ、大きな窓から射しこむ光が眩しい中、ネズミの通路を通らずにふてぶてしく階段を上るサムエル。

『ひげのサムエルのおはなし』はヒルトップハウスの内部が詳細に描かれていて、私達訪問者を絵本の世界へといざなってくれる。さらにこの続きはまた次のブログにて。

ラピータ

ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの愛好家で、作品について、開催されたピーターラビットのイベントやグッズ紹介、ピーターラビットの故郷英国について紹介するホームページ「ラピータの部屋」のブログです。
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