ピーターラビットにモデルはいるの?

世界で一番有名なウサギは、ピーターラビットと書くと、全世界のミッフィー(うさこちゃん)ファンに怒られちゃうかもしれませんが、歴史的に言うと1902年に出版されたピーターラビットと、1978年に出版されたミッフィーと、どちらも変わらない人気を誇るという点では、その愛される年月から言ってもピーターラビットと言っても過言ではないかしら?

そう、ピーターラビットが商業出版されたのは1902年。日本の年号は明治35年、日英同盟が締結された年でした。

このおはなしが複雑なのは、まず単純に出版と言えないこと。必ず商業出版となります。それは、商業出版される1年前、作者本人がお金を工面して自費出版しているため、自費出版と商業出版を区別するためこのような表現になります。

そもそもこのおはなしは、たった一人の病気の子供を励ますために送った手紙がきっかけでした。スコットランドのダンケルドにあるイーストウッド・ハウスより送られ、冒頭の右上に書かれている日付が、ピーターラビットの誕生日と呼ばれている1893年9月4日(明治26年)です。

ピーターラビットが商業出版されるまでの流れ:
1.誕生:1893年9月4日ノエル・ムーア宛てに送った絵手紙
2.私家版:1901年12月 自費出版で制作した私家版
3.商業出版:1902年10月 ロンドンのフレデリィック・ウォーン社より商業出版

ビアトリクスは、病気の子供ノエル宛に「なんて書いていいのか分からないけれど、4匹の小ウサギの話をしましょう」と、ピーターラビットが主人公のお話を作り、それに絵を付けて送ります。この時、17点の絵を描きました。

そして、この絵手紙をもとに絵本を制作することにしたビアトリクスは、絵を25点(計42点、口絵含む)を追加し、内容を充実させました。そして出版社と出版に向け交渉しましたが、なかなかよい返事がもらえませんでした。

そこでビアトリクスは、出版社が相手にしてくれないのなら、自分で出版しようと、費用を工面して印刷業者に依頼し私家版を制作しました。

この私家版は、1901年12月16日に印刷会社から自宅へ届きました。フレデリック・ウォーン社から出版に向けての条件を記載した手紙が届いたのも、同日の日付が右上に記載されたものでした。(参照:P80)

奇しくも私家版が出来上がったその日に、出版社から出版に向けてGOサインが出ていたのです。

出版社からの条件は、有名な話なのでここで書くまでもないのですが、挿絵に色を付ける、物語の分量を減らすというものでした。ビアトリクスは、挿絵に色を付けることに反対したものの、小さな子供たちが購入できるよう価格を抑えるという点で双方折り合いがつき、出版されることになりました。

出版社からの条件として、これは紹介されることが少ないのですが、表紙と口絵以外に、挿絵は30点にするという条件がありました。物語の分量を減らすという部分と重複するので、このことは紹介するほどのことではなかったのかもしれません。

ビアトリクスは、商業出版用のカラーの挿絵を32点用意していました。でも契約で30点と決められていたため、2点を採用しなかったのです。この2点は、ずっとお蔵入りだったのですが、2002年の出版100周年のリニューアル版で採用されました。

ざっと、ピーターラビットに関する複雑な事情を書きだしてみました。

絵手紙も私家版もそのどれが欠けても出版には至らなかった訳ですし、カラー印刷物がようやく庶民の手に届く価格になった頃に、ピーターラビットが出版されたことも、世界で一番有名なウサギとして世にピョーンと飛び出た理由ではないかと思ってます。

私たちは幸せなことに、これらピーターラビットのすべてをご覧になられたと言っても過言ではありません。

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図録「ビアトリクス生誕150周年 ピーターラビット展」2016年
2番の私家版の原画、表紙、カラーの口絵、線描画の挿絵42点(内1点は不採用)は、2016年の「ビアトリクス生誕150周年 ピーターラビット展」で展示されました。

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図録「出版120周年 ピーターラビット展」
さらに、1番の絵手紙と、3番の商業出版用に用意した原画のすべては、昨年開催された、「出版120周年 ピーターラビット展」で展示されました。

ここでタイトルの疑問について「ピーターラビットにモデルはいるの?」ですが、この疑問だけが未だに残ります。これは、ここまで説明した複雑な事情と関係しているためです。

1892年、1番の絵手紙を書く1年前、ビアトリクスが初めて購入したウサギ、ベンジャミン・バウンサーが亡くなりました。4歳半ぐらいだったと思われます。ベンジャミンは、ベルジャン・ヘアという種類のウサギで、歯の病気が原因で亡くなりました。

そして、1892年の冬頃、ピーター・パイパーを購入します。ピーター・パイパーは、物語の主人公と同じ名前ですが、ビアトリクスが書いた物語のような、やんちゃでいたずらウサギというよりは、どちらかというとおっとりした、いつも寝てばかりのおとなしい性格でした。

1893年9月4日、絵手紙を書いていたビアトリクスの側には、ピーター・パイパーがいました。これは私の想像ですが、ピーターの頭を撫でながら、この物語を紡いだのかもしれません。

私家版制作に取り掛かったのは1900年です。ピーター・パイパーはこの時代にしては長生きしたウサギですが、私家版の完成を待たずに1901年1月26日に9歳で亡くなりました。

さて、ここから出版社との交渉が始まるまでの約1年間、ビアトリクスはウサギを飼っていません。

しかし1902年、ビアトリクスは再びウサギを飼い始めました。ジョージーとモプシーという2匹のウサギは、どちらも野良ウサギで、生け垣の下にあった巣穴に住んでいました。

商業出版の条件として、挿絵をカラーにするというのがありました。ビアトリクスは、私家版で制作した線描画に、色を付けるだけで良いと考えていましたが、それだけでは描けなかった。どうしてもウサギを間近で観察する必要があったのです。

さてもう一度「ピーターラビットのモデルはいるの?」という質問は、もちろん「YES!います!」と答えます。

次に「ピーターラビットのモデルのうさぎはピーター・パイパーなの?」という質問は、「NO!違います!」となります。

ビアトリクスのペットのうさぎについて:
1.1892年10月末 ショップで初めて購入したベルジャン・ヘアのベンジャミン・バウンサーが亡くなる
2.1892年冬頃 ショップで購入したピーター・パイパーを飼い始める
3.1901年1月26日 ピーター・パイパーが9歳で亡くなる
4.1902年 野良ウサギのジョージーとモプシーを迎える

ここで、面白い事実が書かれた手紙があります。それは、昨年開催された「出版120周年 ピーターラビット展」の、1章1番に紹介された手紙です。(参照:P34~35)

アメリカに住む友人に宛てた手紙で、「『ピーターラビットのおはなし』のピーターは、バウンス(ベンジャミン・バウンサーの愛称)と名付けた非常に知的なベルジャン・ヘアを参考に描きました。本来のウサギにしては、耳が長すぎることに気づくでしょう。」と告白しました。

さらに、もっと面白い事実がありまして、アメリカで出版された書籍「The Best American Science and Nature Writing 2021」に、ニューヨーク市民によるラビット・フィーバーというタイトルで、ベルジャン・ヘアについて書かれていました。

「ベルジャン・ヘアは、黒い栗色のなめらかな毛に、面白いほど長い耳と、長く伸びた体つきが特徴です。ベルジャン・ヘアのブームの時代に出版されたビアトリクス・ポターの『ピーターラビットのおはなし』のピーターラビットは、まさしくベルジャン・ヘアにそっくりでした」

という記述があります。

アメリカで1900年初頭に、ベルジャン・ヘアの大ブームが起き、そのちょうど同時期に出版されました。アメリカではその頃、ピーターラビットはベルジャン・ヘアがモデルともてはやされたという史実です。

ここで日本で間違って伝えられている内容についても書いておきます。

「ネザーランド・ドワーフは、ピーターラビットのモデル」

これは真っ赤な嘘で、恐らくペットショップが売り出し文句として使用したと思われますが、上手くはまったことにより、都市伝説となってしまったので、覆すのはかなりの労力が必要でしょう。ピーターラビットが手に持っているのは、ラディッシュ(二十日大根)ですが、これをキャロット(人参)と世間に知られているのを訂正するのと同じぐらいに。

最後の質問「ピーターラビットのモデルは?」と聞かれましたら、「耳の長さは間違いなくベンジャミン・バウンサー(作者本人お墨付き)、ピーター・パイパーはその名前を、商業出版はジョージーとモプシーがモデルです」と。複雑ですよね!!

正しい答えなんてないのかもしれません。だってこればかりは作者本人しか答えられませんものね。「代表してピーター・パイパーです」で良いと思います。

もうひとつ「ピーター・パイパーの種類は?」ですが、これはブログ読者の方のみこっそりお教えします。断定はできませんが「ポーリッシュ」と答えておきます。

ポーリッシュは、その当時の品種名「群青色のウサギ」でした。これも私の想像ですが、ピーター・パイパーを見た時、その青い目にひとめぼれして、ピーターラビットの上着の色にしたんじゃないかしらと。想像はどこまでも膨らみますね。

2023年は、ピーターラビットのきっかけとなった絵手紙を送ったその日から130年という記念の年になります。「ピーターラビットの誕生日?誕生年?」という表現は、販売戦略みたいであまり好きではないのですが、ビアトリクスがその手紙を書いたスコットランドのダンケルドに思いを馳せて過ごしたいと思います。

お正月早々、年始の酒飲みみたいに、だらだらと長くなり申し訳ございません。最後までお読みいただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。

*ページ数を記載した参照書籍は、図録「出版120周年 ピーターラビット展」より。
*ウサギに関する記述は、2016年に上梓した論文「ビアトリクス・ポターとウサギ」より。
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ラピータ

ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの研究家で、作品について、開催されたピーターラビットのイベントやグッズ紹介、ピーターラビットの故郷英国について紹介するホームページ「ラピータの部屋」のブログです。
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