悲しいこと

元気にがんばってるかな」と思って、病気と闘っていたお友達のうさちゃんのページを見に行くと、悲しい知らせが載っていて。。。(絶句)

わからないけれど、なんだか呼ばれた気がしたのかな。
「たまには見に来てよ」って。

歯が抜け落ち、闘病生活に入って、でもずっとがんばってもっと長生きできると思ってた。

永遠の命なんてないのに。

たくさん生きたから、一生懸命看病したから、自分を責めることなどないと他人は思うかもしれないけれど、いざ自分の立場になってみるとそれはできない。

どんなに、どんなにがんばっても、その最後の瞬間を迎えてしまったら、これでよかったのか、まだ何かしてあげれたんじゃないかって後悔して、責めて、また悲しんで。

永遠に立ち直れない悲しみの泥沼に突き落とされるだよね。

でもそんな思いになってしまうのは、それだけその子の存在が自分にとって大きいものだったから。

なくてはならい存在だったから。

ある意味、そんな大切な子にめぐり会えたことに感謝しなければいけないのかもしれない。

そして、その愛をいっぱい受けて育った子は、本当に幸せだったんだって思いたい。

悲しいことはこれだけじゃない。
うさぎは簡単に飼えると思っていた人は、飼育してみてそれが簡単じゃなかったら、命あるもののを捨ててもいいんだろうか。

はっきり言って、私はうさぎは簡単に飼えるとは思わない。

でもそもそも、簡単に飼えるからって飼ってみようと思うことが私には理解できない。

命あるものを家族として迎え入れるのだから、よりよい環境で、よりよい状態を常にキープするために、毎日の健康管理に気を配り一緒に生活していく。

そのための努力はおしまないぐらいの心意気で、お迎えして欲しい。

一度人間の手にゆだねられたペットは、絶対に野生で生きられないのだから。
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ラピータ

ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの研究家で、作品について、開催されたピーターラビットのイベントやグッズ紹介、ピーターラビットの故郷英国について紹介するホームページ「ラピータの部屋」のブログです。
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